聖書って?

 アメリカ独立革命の立役者パトリック・ヘンリは言いました。「聖書は、かつて印刷されたあらゆる書物すべてに値する。」インドの非暴力運動の指導者ガンジーは言いました。「私たちの生涯に最も深い影響を与えた書物は、新約聖書である。」

 聖書は世界のベストセラーと言われても、あまり読むチャンスはないものです。 ですが、聖書の理解なくして、世界の思想、文化、芸術、政治、経済、紛争といった出来事の背景を理解することはできません。あるいは身近なことから言えば、なぜ一週間は7日なのか。なぜ週に一日は休むのか。なぜ人を殺してはいけないのか。盗みは、偽証は、不倫は、なぜいけないのか、って、誰がいつ決めたのでしょう。もっと身近なことをあげれば、なぜ、一般的に男性は髪が短く女性は髪が長いんでしょう。…それらはすべて、聖書からきたものです。法が国を支配する法治国家という思想も、女性の地位向上も、もとは聖書の思想だと言われます。
 また、聖書には、契約の概念、弱者救済、税金、正義、正直、公平、透明性など、国家や国家間のルールの根底を支える思想が明記されています。日本人が世界で活躍するにも、日本が世界と共存するにも、聖書の知識は必須です。
 何よりも、聖書はたくさんの人生に癒しと希望を与え続けてきました。生まれながら目も耳も不自由だった ヘレン・ケラーは言いました。「私の最も愛する書物、それは聖書です。私の辞書に『悲惨』という文字はありません。聖書はダイナミックな力であり、変わることのない理想を示すものです。」

 聖書は、全66巻からなる書物です。今から3500年前から執筆され始め、一冊の書物を書くのにそれから1600年間もかかりました。著者たちはバラバラで、時代も国家も民族も身分も全く違う人たちによって執筆されました。ある人は王様、ある人はヤクザさんのような仕事をしていた人、ある人は超エリート、ある人は無学の漁師。 しかし、そのように長い年月をかけて、多様な人々によって書かれているにもかかわらず、驚くほどの統一性と調和を保っています。そして、みな口をそろえて、歴史上の一人の人物“イエス・キリスト”のことを指さしています。

 イエスは自分自身のことをこう言いました。「私は道、真理、命である。私を通らなければ父なる神の元に行くことはできない。」「私に来る者は暗き道を歩むことなく、永遠の命を持つのである。」 聖書の最も大切な箇所と言われる、ヨハネによる福音書3章16節にはこうあります。 「神はその一人子イエスを遣わしたほどに、世界の一人一人を愛してくださった。それは彼を信じるものが一人も滅びないで、永遠の命を持つためである。」 赤十字を創設したアンリー・デュナン、死に行く人の看護師マザー・テレサ、公民権運動のキング牧師、彼らはみな、たった一人の男、イエスに惚れ込み、聖書に生きた人たちでした。

 神の愛? 何それ、という感じですが。それでも、「私は神様に愛されている」という理解は、本当に素晴らしい世界です。聖書の語る愛とゆるしこそ、どんな人をも造り変えてしまう力なのです。皆さまも、一度読み、味わってみませんか。

 発明家トーマス・エジソンは言いました。「光、暖かさ、健康、力はすでにもう存在しているのですから、スイッチを入れさえすればよいのです。電線そのものは別に何でもありません。絶縁された二、三本の銅線にすぎないのです。しかし、その線の中をプラスとマイナス二つの電流が流れると、すべてが変わってきます。暗黒は失せ、冷気はなくなり、仕事もたやすくできるようになります。聖書は単なる本にすぎませんが、神の御霊によって霊感されている聖書の各ページを、神の義と愛とが、プラス・マイナス二つの電流のように流れ、キリストの十字架で合流しています。聖書だけが、私たちに救い主を示してくれます。そのことによって聖書は、私たちの全生涯を造り変えることができる力の泉となるのです。あなたは誘惑にあい、疑惑と敗北と弱さに満ちたご自分の生活に倦み疲れてはいませんか。また、不安や心配にあきあきしてはいませんか。スイッチを入れなさい。聖書を読んでください。」